A.心の穴を塞ぐのは
「え?明日から1ヶ月ぐらい帰って来れない?」
それはある日の夜の事だった。
3人で夕食を囲んで、今日の出来事と、明日の予定などを話していると、へリオから「1ヶ月程、帰って来れない」と言われたのだった。
「あぁ、姉さんの手伝いでな」
「あーなるほどな」
「え~、ヘリオお兄ちゃんとしばらく会えなくなっちゃうの?」
リリンちゃんの寂しそうな顔に、ヘリオは苦笑しながら答える。
「一生の別れって訳じゃ無いんだ、そんなに寂しそうな顔をしないでくれ。買ってこれたら土産の1つでも持ってくるから」
「うん!分かった!頑張ってね!ヘリオお兄ちゃん!」
「あぁ、ありがとう」
2人のやり取りを微笑ましく思いながらも、俺の内心は少しザワザワしていた。
なんだろう。
俺も寂しいんだろうか?
いや、一緒に住む前は2ヶ月、3ヶ月会えないのは当たり前だったし、その頃に比べたら、たかが一ヶ月なんて、どってこと無いじゃないか。
「アリス?」
「えっ!?あ、ごめん!考え事してた!」
「?俺のいない間、リリンの事を頼むぞ」
「うん!分かった!」
ヘリオの言葉に笑顔で答えた。
そして、翌日からヘリオのいない生活が始まった。
最初の1週間は、思った以上に平穏に過ごせていた。
だが、2週間目に突入した辺りで、なんだか心にポッカリと穴が空いたような、そんな感覚に襲われていた。
リリンちゃんには心配かけないように笑顔で接し、彼女が寝た後、リビングで1人ウィスキーをロックで飲む。
ヘリオは今、何をしてるのかな…
怪我とかしてなきゃ良いけど…
そんなことを思いながらウィスキーを煽る。
1人で寝るベッドがやけに広く感じ始め、寝付きも悪くなり始めていた。
ベッドには、微かにヘリオの移り香が残っている。
ヘリオの香りがするのに、いつも触れていた温もりが無いのも落ち着かない。
余計なことを考えて眠れなくならないように、寝酒としてアルコールを飲む量が日に日に増えているのも自覚していた。
「はぁ…、人って欲張りな生き物だな…」
一緒にいる時間が長い程、いなくなった時に耐えられなくなるなんて…
「アリスお兄ちゃん?」
呼ばれて振り向けば、そこにはリリンちゃんが立っていた。
「どうしたの?怖い夢でも見た?」
「ううん。なんか目が覚めちゃって…」
「そうか、じゃあホットミルクを作ってあげる」
「ありがとう!」
リリンちゃんは嬉しそうに椅子に座る。
俺はミルクを暖め、マグカップにホットミルクを注ぎ、そこに砂糖を加えスプーンで混ぜる。
「はい!熱いから気をつけて飲むんだよ?」
「うん!ありがとう!アリスお兄ちゃん!」
フーフーとホットミルクを冷ましながら、美味しそうに飲むリリンちゃんに、俺の頬の筋肉が緩む。
彼女も、俺にとっては特別な存在だ。
妹のような、娘のような、愛らしく愛おしい存在。
それでも、ヘリオの存在はそれ以上に特別で大きな存在なのだと痛感する。
再びウィスキーを1口飲み、グラスをテーブルに置くと、カランと氷が音を立てる。
「アリスお兄ちゃん、寂しいの?」
「え?」
言われて思わず顔を向ける。
「そ、そんなに顔に出てたかな?」
「うん。アリスお兄ちゃん、寂しいなら私が一緒に寝てあげようか?」
「い、いやいや!それはさすがにダメだよ!」
リリンちゃんの思わぬ申し出に、慌てる。
すると、リリンちゃんは少し考える素振りを見せた後、何かを閃いたように立ち上がる。
「アリスお兄ちゃん!ちょっと待ってて!」
「う、うん?」
リリンちゃんは、パタパタと小走りで寝室の方へ向かい、少しの間があってから戻ってきた。
「はい!アリスお兄ちゃん!これ貸してあげる!」
「え、これって」
差し出されたのは、出会った時に俺があげたモーグリのぬいぐるみ。
一緒に住むようになってから、片時も離さず、大事にしていたモーグリのぬいぐるみだった。
「えっと…」
「これを私の代わりだと思って一緒に寝て良いよ!そしたら寂しくないでしょ?」
笑顔で言われ、途端に胸が熱くなる。
ダメだな、俺。
リリンちゃんに気を使わせるなんて…
彼女の優しさと気遣いに感動する。
「ありがとう、リリンちゃん。じゃあ、貸してもらおうかな」
「うん!いいよ!」
モーグリのぬいぐるみを受け取り、リリンちゃんの頭を撫でる。
「じゃあ、そろそろ寝ようか」
「うん!アリスお兄ちゃん、おやすみなさい!」
「あぁ、おやすみ!」
2人で寝室に向かい、それぞれのベッドに入る。
その日俺は、モーグリのぬいぐるみを抱いて、寝たのだった。
翌日、俺はリリンちゃんにお礼を言ってぬいぐるみを返した。
朝食を摂ったあと、リリンちゃんは元気よく家を出ていった。
俺は久しぶりになんの予定もなかったので、部屋の掃除を始めた。
そして、昼頃。突然リンクパールが鳴り出した。
「はい?もしもし」
『アリス、俺だ』
「ヘリオ!どうしたんだ?何かあったのか?」
『いや、近況報告…と言うやつだ』
「あぁ!どんな感じなんだ?」
『至って順調だ。なんの問題もない』
「そっか、良かった」
何事も無いようで安堵する。
『そっちはどうだ?』
「こっちはいつも通りだよ。平和なもんさ」
『そうか』
あぁ…、声を聞いただけでこんなにも穏やかな気持ちになれるなんて…
「…ヘリオ」
『ん?どうした?』
「連絡、ありがとな」
『あ?あぁ…』
俺のお礼の言葉に、戸惑った様子の声をあげる。
『…アリス、あんた少し元気が無さそうだが、本当に大丈夫か?』
「え?」
昨日のリリンちゃんの時といい、そんなに俺って分かりやすく感情が出てるのかと、少し自分に呆れた。
「…なぁ、ヘリオ。人って欲深い生き物だよな」
『?どうした急に…』
「実はさ…、俺、寂しいみたい」
『は?』
「一緒に住む前はさ、2ヶ月3ヶ月会えないのが当たり前だったのに、一緒に過ごす時間が多くなると、会えない時間が多くなるのが耐えがたくなるんだな…」
『……』
「ははっ!ごめん!こんな話して」
『あー…いや…』
「この後もまだ手伝いあるんだろ?頑張ってな!」
『あ、あぁ』
「声が聞けて嬉しかったよ!じゃあ!」
『あぁ、またな』
そう言って、通信は切れた。
「ったく!何言ってんだ俺は……っ」
相手に心配させるような事言って…
俺は両手で顔をパァンと叩き、しっかりしないとと、気持ちを切り替えた。
ヘリオから連絡があってから1週間が経った。
ヘリオの帰還まで、後1週間。
俺は今、自宅で1人夕食を終え、リビングの椅子に座ったまま、ボーッとしていた。
今日からリリンちゃんが泊まりがけで冒険に行っていて、俺は1人。
いつも誰かしらいた家に、1人だけで居ると、思い出したくない過去が蘇る。
母親を失った日。
1人残された孤独。
その時の孤独が寄り添って来るようで、俺はグラスを手に取り、ウィスキーを注いだ。
それを飲み干そうと、グラスに手を掛けた時、突然玄関の扉が開いた。
「ただいま」
そこに居たのは、逢いたくて逢いたくて仕方なかった最愛の人の姿。
「ヘリオ!?あれ?帰ってくるの1週間後じゃなかったっけ?」
驚きで混乱する中、ヘリオは溜息を吐いた。
「あんたが寂しがってるって話を姉さんにしたらな、何かに火がついた様に、ハイペースに用事をこなし始めてな…。流石にハードだったが、さっき全て終わって帰ってこれたんだ」
事情を聞いて、ガウラさんに感謝した。
俺は嬉しさを抑えきれずヘリオに駆け寄り、抱きしめた。
「なっ!?」
「ヘリオ!おかえりっ!おかえりっ!!」
ヘリオの香りと温もりが、夢じゃない事を証明する。
俺は嬉しくて、嬉しくて、ヘリオに顔を擦り付ける。
ヘリオは少しの間固まっていたが、そっと俺の背中に手を回した。
「あぁ、ただいま」
あぁ…、本当に帰ってきたんだ…
俺は少し体を離し、ヘリオの頬に右手を添え、口付けをする。
ヘリオの身体が一瞬ビクッと震えたが、いつものような抵抗はなかった。
「逢いたかった」
「全く…、あんたの想いの強さは恐れ入るな…」
頬少し赤らませ、目を逸らしながら言うヘリオ。
俺は「へへっ」と微笑む。
「そういえば、リリンは?」
「リリンちゃんは今日から泊まりがけで冒険に行ってるよ。明後日に帰ってくるって」
「そうか」
「ヘリオ、夕飯は食べたのか?」
「いや、まだだ」
「分かった!今、夕飯の残り温め直すから、待ってて」
ヘリオは「分かった」と言い、椅子に腰掛ける。
ヘリオが居るだけで、こんなにも幸せな気持ちになるなんて、俺って現金なヤツだな。
自分自身に苦笑しながら、温め直した料理をヘリオに出す。
「いただきます」とヘリオは食事を始める。
それを眺めながら、俺はさっき入れたウィスキーを飲む。
あとで、ガウラさんにお礼を言わないとな。
久しぶりにヘリオと一緒に居られる時間。
俺は、心にポッカリ空いた穴が、急速に埋まっていくのを感じたのだった。
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