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体に違和感を覚えたのは数ヶ月前の事だった。
最初は気のせいだと思っていたが、日に日に体に不調が現れ始めた。
そして、今日。俺は吐血をした。
自分の手のひらに付いた赤黒い血に、思わず目を見開いた。
蘇る母さんとの記憶。
母さんの容態が悪化した時も吐血をしていた。
それから1年も経たず、母さんはこの世を去った。
まさかと思い、急いで医療施設に足を運び検査をしてもらった。
検査結果は1週間後との事だったが、かなり高い確率で母さんと同じ病だろうと医者に診断された。
そして、病が確定すれば余命は短いことを告げられた。
自宅に帰り、椅子に座り、俯きながら顔を両手で覆った。
若干母親の体質が遺伝しているのは分かっていた。
同じ病にかかる可能性があるのも分かっていた。
でも、まさかこんなに早く、それが自分に襲いかかってくるとは思わなかった。
「どうしよう…」
身内である人達になんて伝えればいいのか…
悩んでいると扉が開き「ただいま」とヘリオが帰宅した。
「ヘリオ!おかえり!」
俺はいつものように出迎えるが、ヘリオは少し訝しげな表情を浮かべた。
「どうしたの?」
「…血の匂いがする」
その言葉にドキッとする。
「今日、ブロック肉を切り分けてたから、そのせいかな?」
「あー、なるほど」
咄嗟に吐いてしまった嘘。
これによって、完全に病気を打ち明けるタイミングを逃してしまった俺は、ヘリオに病気を隠し続けることになってしまった。
そして、検査結果が出る日。
別の病気であるよう願っていた俺の思いは、虚しく崩れ去った。
余命宣告は1ヶ月。
目の前が真っ暗になった。
失意の中、気が付くとガウラさんの家の前に辿り着いていた。
そのまま玄関の前に立ち、扉をノックした。
「はーい!」
声が聞こえ、足音が近づき、扉が開いた。
「アリスか。どうしたんだい?連絡無しに来るなんて珍し…」
ガウラさんが言い終わる前に、俺は発作を起こし蹲る。
「お、おい!?大丈夫かい?!」
ガウラさんは、咳き込む俺の背中をさする。
大きく咳き込んだ拍子に、吐血。
口元を抑えていた手では抑えきれない量の血。
指の間からボタボタと垂れ、玄関先の床を汚す。
「なっ?!待ってな!今、医療施設に連絡をっ!」
連絡を取ろうとするガウラさんの腕を掴み、それを引き止める。
「…もう…無駄、なんです…」
喉をヒューヒュー鳴らしながら、なんとかその一言を絞り出した。
それで何かを察したのか、ガウラさんは俺の発作が落ち着くまで背中を摩ってくれていた。
発作が落ち着き、玄関先の掃除をして、ダイニングで対峙するように座り、事情を説明した。
余命が1ヶ月という事を伝えると、ガウラさんはなんとも言えない表情をした。
「で、ヘリオとリリンはこの事を知っているのか?」
「…タイミングを逃してしまって…まだ…」
「お前は馬鹿かっ?!そんな大事な事を何で伝えないんだい!?」
ガウラさんの怒声。
いつもなら萎縮してしまうのに、その怒声すらガラスに隔てられてるように遠く感じる。
「認めたく…ないんです。やり残したことが沢山あるのに、こんなに早く…しかも病気が原因で人生が終わってしまうなんて…」
「お前が認めたくなくても、現実は変わらないんだぞ?」
「分かってます…」
俺は俯きながら言った。
「2人には明日、必ずこの事を伝えます…」
「…分かった。その言葉、信じるよ」
ガウラさんの返答に、俺は顔を上げ微笑んだ。
ガウラさんの大きな瞳に写った俺の笑みは弱々しかった。
その後、自宅に戻った俺は部屋の片付けを始める。
今日は1人だ。
やれることをやっておかないと…
片付けは深夜遅くまでかかった。
翌日、ギルドの依頼から帰ってくるヘリオとリムサで待ち合わせをした。
海豚亭で待っていると、ヘリオが現れる。
「おかえり、ヘリオ」
「あぁ、ただいま。それで、話ってなんだ?」
真っ直ぐ見つめられ、一瞬心が揺らぐ。だが、直ぐに気を持ち直し、俺は意を決した。
「ヘリオ…突然で悪いんだけど…」
ヘリオの目を真っ直ぐに見つめる。
「別れてくれないか」
ヘリオの表情に一瞬動揺が走った。
しばらくの沈黙のあと、ヘリオが口を開いた。
「そうか…分かった…」
そう言うと、ヘリオはエターナルリングを指から外し、俺に投げて寄こした。
俺はそれをキャッチする。
「理由、聞かないんだな」
「聞いてどうする?聞いたところで変わってしまった心は戻らないだろ」
俺に背を向けるヘリオ。
予想通りの言葉と行動に、俺は苦笑を浮かべる。
「ヘリオの荷物、レターで送っておく」
「…好きにしろ」
ヘリオは振り返らず、そのまま去っていった。
これでいい…、これでいいんだ…
自分に言い聞かせるように心の中で呟く。
レターで荷物と、リリンちゃん宛の手紙を一緒に送り、俺は船着場へ向かった。
***********
「邪魔するぞ」
ラベンダーベッドのガウラの家。
入ってきた弟の顔は、まさに不機嫌そのものだった。
「よお、ヘリオ。珍しいじゃないか、そんな不機嫌そうな顔をして…」
ふと、視界に入ったヘリオの左薬指に、いつも着けていたエターナルリングが無いことに気がついた。
「お前、指輪はどうしたんだい?」
「返してきた」
「返したって…なんで…」
「アリスから別れを言われた」
「はい?!」
耳を疑う言葉に、驚きを隠せないガウラ。
「理由は?!」
「さあ?聞いたところで何か変わるわけないだろ?」
ヘリオの言葉に、アリスが病のことを話していないことが分かり、「あのバカ…っ」と心の中で呟き、小さく舌打ちをした。
「…お前は、それで納得してるのかい?」
「変わってしまったものは戻らんだろ。受け入れるしかない」
「…なら、なんでそんなに不機嫌なんだい。納得できないからじゃないのか?」
煮え切らない弟に、ガウラの声に怒気がはらんでいく。
「もう…過ぎた事だ…」
「~っいい加減にしなっ!!」
ガウラの堪忍袋の緒が切れた。
「だったら不機嫌になってるんじゃないよ!今のお前は、理由もわからず拒絶されて、拗ねてる子供と同じだっ!」
「なんで姉さんが怒るんだ」
あまりの剣幕にヘリオが驚いていると、ガウラに胸ぐらを捕まれる。
「納得できないなら直接ぶつかって来い!受け入れるしかないって言うなら平然としていろ!」
「……」
「ガウラお姉ちゃんっ!!」
そんな最中、勢いよく家に飛び込んできたリリンに、ガウラはヘリオの胸ぐらから手を離し、リリンを見た。
一通の手紙を握りしめ、顔面蒼白、息を切らし、今にも泣きそうな顔をしていた。
「良かった!ヘリオお兄ちゃんもいる…」
「リリン、どうしたんだい?」
「アリスお兄ちゃんから、手紙が届いたのっ!ねぇ!お兄ちゃんが病気で、そのせいで死んじゃうって、本当なのっ?!」
「っ?!」
リリンの言葉に驚きを隠せないヘリオは、リリンの持っていた手紙を取り、内容を確認する。
「手紙読んで、ビックリして、お家にもアパルトメントにも行ったけど、何も無くなっててっ」
後片付けの速さに、昨日来た時点で、アリスが行動を決めていたのだと察したガウラは怒りを通り越して呆れてしまい、ため息をついた。
「病気のことは、私も昨日本人から聞かされたよ。お前たち2人にはちゃんと伝えるって言ってたから信じたんだけどね。ヘリオに言う勇気はなかったみたいだね」
「…なぜだ…?」
「それを私に聞くかい?本人に会って直接聞いてきな。行くなら私も付き合うよ。アイツには言わなきゃいけない事が出来たからね」
どうする?と、目で訴えるガウラに、ヘリオは「チッ」と舌打ちし、玄関へと向かう。
「リリン、留守番頼めるかい?」
「う、うん」
「アリスのことはあとでゆっくり話すから、頼んだよ」
そうリリンに言うと、ガウラはヘリオの跡を追った。
行き先はリムサ・ロミンサ。
ヘリオとガウラは早足で船着き場に向かう。
アリスが行く場所と行ったら故郷ぐらいしか思いつかなかった。
だが、船着き場に2人が着いた時には、船は肉眼でやっと確認できるぐらいに遠くなっていた。
乗船の受付カウンターで、同じ行先の船がいつ出るのかを尋ねると、船は折り返し運航をしており、早くて10日後、遅くて2週間後だと告げられた。
「さすがにアイツの故郷までは出向けないな」
ぽつりと呟いたガウラに、ヘリオは応えた。
「俺が行く。今回ばかりは大目に見れん。はっきりと言いたいことを伝えてくる。」
「そうかい。じゃあ、伝言を頼むよ」
やっと弟の感情に火が着いたのを見て、ガウラは苦笑を浮かべた。
ラベンダーベッドに帰って来ると、リリンは「アリスお兄ちゃんはっ!?」と開口一番に尋ねてきた。
「間に合わなかったよ。多分、故郷に向かったんだろう」
「そんな…」
リリンはヘナヘナと座り込み、泣き始めた。
「リリン、アリスお兄ちゃんに、「ありがとう」も「さよなら」も言えないなんて嫌だよぉ」
うえ~んと泣きじゃくるリリンの背中を優しく擦りながら、ガウラは口を開いた。
「ヘリオがアリスの後を追うんだと。アリスに伝えたいことがあれば、ヘリオが伝言してくれる」
「ほ…ほんとう?」
「あぁ」
ヘリオの返事に、リリンは手の甲で涙を拭う。
「じゃあリリン、お手紙書く。ヘリオお兄ちゃん、アリスお兄ちゃんに届けて」
「分かった」
それから10日後。船が早く着いたということで3人はリムサ・ロミンサの船着き場に来ていた。
「ヘリオ、伝言頼んだぞ」
「あぁ、必ず」
「ヘリオお兄ちゃん!行ってらっしゃい!」
「あぁ、行ってくる」
船に乗り込むヘリオ。
それを見送るガウラとリリン。
船が出航し、客室に入ったヘリオの瞳には今までに無いほど感情の炎が灯っていた。
************
俺が故郷に辿り着いてから、2週間が経った。
体が動けなくなる前に何とか辿り着きはしたが、2週間の間に急速に病状は悪化し、今では1人でトイレに行くのもやっとの状態だ。
集落のみんなは事情を知って、当番を決めて俺の様子見や、ご飯の用意などをしてくれていた。
何とか上半身を起こし、窓の方に目をやる。
窓から見える青い海。
「母さんも、ずっとこの景色を見てたんだな…」
きっと、母さんが海を眺めてたのは、父さんを待っていたんだと今更ながらに気が付く。
ネックレスの先に下がったヘリオのエターナルリングに触れながら、来るはずのない別れを告げた人を待っていた。
来るわけが無い
愛した人は人ではなく、感情の全てを知らない。でも、一緒にいて、少しずつではあったが色んな表情が増えて来ていた。
それでも、ドライな所は変わらなかった。
俺の状態を知ったところで、呆れて「知らん」と言って、いつもと変わらない日々を過ごしているだろう。
そんな事を思っていると、扉がノックされ、返事をするとリンダちゃんが入ってきた。
「アリス、調子はどう?」
「少し良いみたい。今日はリンダちゃんが当番なんだね」
「うん。調子良さそうなら、アリスにお客さんが来てるんだけど、入ってもらって良いかしら?」
「俺にお客さん?」
「えぇ!どうぞ!入ってきて!」
リンダちゃんがそう言うと、再び扉が開いた。
俺は目を疑った。
そこに居たのはヘリオだった。
「じゃあ、私は失礼するね」
「あぁ、悪いな」
部屋を出ていくリンダちゃん。
俺は状況が飲み込めず、唖然としていた。
「あんた、やつれたな」
「…な…なんで…」
なんとか言葉を絞り出すと、ヘリオは「なんで…だと?」と眉間に皺を寄せた。
「この馬鹿野郎!あんたに説教するために来たんだ!」
ヘリオに初めて怒鳴られ、ビクッと体を震わせる。
「命に関わる話もしない!話し合いもしない!勝手に1人で決めて、俺はお前のなんなんだ!」
「…ヘリオ…」
ヘリオが激しい感情を露わにするのを初めて見て、驚きで思考が停止する。
「どうせ、看病させるのが迷惑になるとか、そんな事を思っての行動なんだろうが、俺は前に迷惑じゃないと言ったはずだ!」
完全な図星に言葉を失う。
「あれだけ俺を振り回しておきながら、タダで済むと思うなよ!」
ヘリオはそう言って一通の手紙を差し出した。
「リリンからだ」
手紙を受け取り、封を開けて目を通すと、そこには今までの感謝が綴られていた。
涙がボロボロと流れ、便箋を濡らす。
「あと、姉さんからの伝言だ」
その言葉に、俺は涙を流したままヘリオに顔を向ける。
「私に嘘を吐くとはいい度胸だ。お前を信じた私が馬鹿だったよ。お前は罰として弟に看病されろ、だそうだ」
「…ガウラさん…」
あまりのガウラさんらしい伝言に、思わず笑みが零れた。
「それで、もう一度聞くぞ。俺はお前のなんなんだ?」
真っ直ぐ見据えられ、涙が止まらなくなる。
「パートナー…です」
「…あんたの気持ちは、心は今までと変わってないんだな?」
「うんっ…うんっ…」
泣きながら頷くと、ヘリオは溜め息を吐く。
「全く…あんたには振り回されてばかりだ…」
そう言って、ベッドの端に座り、俺の頭に手を置く。
「あんたは俺を見くびりすぎだ」
「…ごめん…」
俺は馬鹿だ…。こんなにも周りから愛されていたことに気づかなかったなんて…。そして、その人たちを裏切る行為をしてしまうなんて…。馬鹿以外の何物でもない。
でも、死ぬ前にその事に気づけて良かった…。
「…ヘリオ」
「なんだ?」
「抱きしめてもいい?」
「…今更、だろ」
ヘリオの返答に、俺はヘリオを抱きしめた。
それに答えるように、優しく抱きしめられた。
ヘリオの温もり、香りを感じ、しばらくそのまま、俺は泣き続けた。
涙が落ち着いた頃、ヘリオは手を出した。
「ヘリオ?」
「俺はパートナーなんだろ?指輪を返せ」
ぶっきらぼうな言い方に、思わず笑ってしまう。
ネックレスを外し、指輪を手に取る。
「あんたが指に嵌めろ。俺がパートナーだって自覚がないみたいだからな」
「それは、ごめんって」
俺は苦笑し、ヘリオの左薬指にエターナルリングを嵌めた。
「ヘリオ、俺の命の最後まで、よろしくな」
「あぁ、言われなくても」
そう言って、俺たちは微笑み合った。
そして、その日からヘリオが俺の世話をすることになった。
未だに申し訳無さを感じるが、それよりも一緒に過ごせることが嬉しかった。
「今日は調子はどうだ?」
「今日は少しダメそう。体起こせそうにない」
「体を横に向けるぞ、仰向けだと吐血した時に窒息する」
ヘリオの助けを借りて体を横向きにする。
「ヘリオ、ありがとう」
お礼を言うと、必ず頭を撫でられる。
「ヘリオ、大好き」
そう呟くと、ヘリオの手の動きが止まる。
目線だけヘリオに向けると、何かを葛藤している表情をしていた。
不思議に思い、そのまま見つめていると、ヘリオは目を閉じ、口を開いた。
「お…俺も…好き…だ…」
頬を赤く染め、聞こえるのがやっとの声で言われたその言葉に、俺は驚き目を見開く。
「ど、どうしたんだ?いつも、そんな事、言わないのに…」
「…昔、あんた言ってただろ。「あの時もっと気持ちを伝えてればよかったと、後悔したくないから言うんだ」って」
たしかに、昔ヘリオに好き好き言ってた時に言ったことがある。
でも、なぜそれが今出てくるのか?
不思議そうな俺の顔を見て溜め息を吐くヘリオ。
「俺だって、後悔したくないんだ。今更感は否めないけどな…」
そうか…。俺の死が明確になりつつある今になって、ヘリオの中で変化が起きたのだろう。
ヘリオの口から聞くのを諦めていた言葉を聞けて、嬉しさで涙が溢れる。
「あんた、泣いてばかりだな…」
「だって、嬉しくて…」
俺がそう言うと、困ったような笑みを浮かべるヘリオ。
そんな幸せいっぱいの時間を噛み締めている時に、容赦なく発作が起こる。
「ぐっ…ごほっ、がはっ!!」
激しく咳き込み、大量の血が吐き出される。
その血は、ベッドと床を赤黒く染めていく。
発作が落ち着くまで背中をさするヘリオ。
その表情は険しかった。
************
日に日に発作の回数は増え、吐血の量も増えていった。
その度に汚れた物の処理に追われるヘリオは、嫌な顔一つせずにこなしてくれる。
本当に申し訳なさが募るが、多分、母さんも同じだったんだろうな…。
宣告された命の期限はあと僅か。
俺は発作が落ち着いている間に、ヘリオにこれからどうなっていくかを話すことにした。
「ヘリオ、伝えておきたいことがある」
「なんだ?」
「これから起こる症状の事なんだけど…」
「…話せ」
ヘリオの顔付きが真剣になる。
「…母さんの時がそうだったんだけど、近いうちに高熱が出る。それが何日か続いて、突然熱が引くんだ…」
「…熱が引いたらどうなる?」
俺は目を伏せる。心を奮い立たせ、目を開き、ヘリオを真っ直ぐ見つめる。
「熱が引いたら……それが最後だ。その日に寿命が尽きる」
「…そうか…、分かった」
なんとも言えない複雑な表情をするヘリオ。
それを見て、俺は微笑を浮かべる。
「そんな顔、しないでよ」
「…それはこっちのセリフだ。無理に笑顔を作るな」
「え…」
真っ直ぐ捉えられる視線に、俺は息を飲む。
「無理に笑わなくていい。正直な気持ちを吐き出せ」
そう言われて俺は、堪えていた感情が溢れ出した。
「なんだよぉ…いつもは「泣くな、男だろ」って言う癖にぃ…」
堰を切ったように流れ出す涙。
「気持ちを溜め込むなんて、あんたらしく無いからな…」
その言葉に俺はヘリオにしがみつき、胸元に顔を埋める。
「…死にたくない…っ、俺、まだ死にたくないよ…、もっとヘリオと一緒に生きたいっ、リリンちゃんの成長も見届けたいっ、ガウラさんの活躍を見てたい…っ、自分の意志とは違う死に方、したくないっ」
子供の様に泣きながら、叫ぶように気持ちを吐き出す。
ヘリオは「そうか」と言いながら、優しく俺の背中を摩ってくれた。
************
病気の症状を伝えた翌日から、見計らったかのように高熱が出た。
あれだけ起こっていた発作と吐血は、高熱が出始めるとピタリと止まった。
高熱が出始めて3日目の朝、何をやっても下がらなかった熱が急に下がった。
病気の最終段階。
完全に体力を消耗しきっているアリスは息も絶え絶えだった。
「…ヘリオ…」
アリスに名前を呼ばれ、ヘリオは思わず手を握った。
「最期まで、ありがとな…」
アリスの言葉に息を飲むヘリオ。
覚悟はしていたはずなのに、心が落ち着かない。
ヘリオは初めての感情に、どう言葉を発していいか分からなくなっていた。
「俺、ヘリオを好きになれて…、ヘリオを愛せて、本当に幸せだったよ」
弱々しく微笑むアリス。
アリスの手を握っているヘリオの手に力が籠る。
「ヘリオ…、そんな顔しないで…、また、直ぐに…会いに行くから…、だから…」
───泣かないで───
その言葉と同時に、笑顔のまま生気を失っていくアリス。
アリスの身体の体温が無くなっていく感覚にハッとするヘリオ。
そして、頬を濡らす生暖かい感覚。
ヘリオにとって、最初で最後の涙だった。
************
アリスの死から3年が経った。
ヘリオは双蛇党の任務が終わり、結果報告の為に本部へと来た。
本部内に入ると、何故だか赤子の泣き声が響き渡っていた。
普段なら気にせず、要件を済ませてしまうのだが、今日は違った。
何かに呼ばれている様な気がしたヘリオは、周りの兵達に声をかけた。
「なんで赤子の泣き声がするんだ?」
「リガン少牙士!お疲れ様です!実は、昨日イクサル族に小さな集落が襲われまして、そこで保護した赤子なんですけど、何をしても泣き止まなくて」
「なるほど…」
ヘリオは赤子の顔を覗き込んだ。
すると、あれほど火がついたように泣いていた赤子はピタッと泣きやみ、ヘリオを見た。
その赤子の特徴に、ヘリオは目を見張った。
赤紫色の髪に、深い緑の瞳をしたミコッテのサンシーカー。
思わず手を赤子に近づけると、赤子はヘリオの人差し指をギュッと掴み、ニッコリと笑った。
──そうか、あんたは約束通りに会いに来たんだな──
掴まれた指から感じ取ったエーテルは、アリスと同じものだった。
「この赤子の身元は?」
「分かりません。我々が現場に到着した時には、既にその子以外の住人が拐われるか殺されるかしていたので…」
「そうか…」
それを聞いたヘリオは、兵達に告げた。
「この赤子は俺が引き取る。任務の報告が終わり次第、必要書類に記入するから用意しといてくれ」
「え?!あ、はいっ!!」
驚く兵達に背を向け、部屋を出る。
──我ながら焼きが回ったか…それとも、アリスに少なからず感化されたか──
以前の自分なら考えられない行動に苦笑した。
報告を終え、書類を記入し、買い物を済ませてラベンダーベッドへと向かう。
「姉さん、ただいま」
「おかえり、ヘリ………オ」
弟の姿を見たガウラは目を丸くする。
片手に赤子を抱え、もう片方の手で大量の荷物を抱えたその姿に絶句する。
「…その赤子は?」
「引き取ってきた」
「その荷物は?」
「育児書とベビー用品」
いまいち容量を得ることが出来ず、ガウラは目で説明しろと訴えた。
ヘリオが経緯を説明すると、ガウラは苦笑いをした。
「なるほどね。アリスの生まれ変わりか…」
それなら仕方ないと肩をすくめる。
「にしても、お前も思い切った事をするねぇ」
「自分でも驚いてる」
「まぁ、いい傾向なんじゃないか?」
「だと良いがな」
「で、その子の名前は?」
「身元不明だったから、そのままアイツの名前を付けてきた」
その言葉にガウラは吹き出した。
「…笑うな」
「いやぁ、まさかとは思ったが…ふふっ」
「……」
バツの悪そうな顔をする弟に、笑いが止まらないガウラ。
「身元不明って事は、誕生日も分からないのかい?」
「いや、医者曰く、成長具合から恐らく星2月の上旬辺りらしい」
「ほう。じゃあ、誕生日もアイツと同じにしたのかい?」
「………」
どうやら図星らしい弟に、またガウラは笑った。
──随分と人間らしくなったじゃないか──
心の中でガウラは呟いた。
「さて、家族が増えることだし、ハウジングのレイアウトを変えないとだね」
「いや、FCハウスの個室を改装するからいい」
「何を言ってるんだい。子育てを甘く見るんじゃないよ」
そんな会話をしながら、2人は今後の生活をどうするのかを会議し始めるのだった。
************
「ガーウーラ!」
「あーうーあ!」
「…うーん、なかなか上手く言えないねぇ」
ガウラは1歳半になるアリスに名前を教えていた。
「が」
「が!」
「う」
「う!」
「ら」
「ら!」
「ガウラ」
「あうあ!」
「だめだこりゃ…」
思わず頭を搔くガウラ。
そんな時、玄関の扉が開き、弟が帰ってきた。
「ただいま」
「へーお!!」
アリスはたどたどしい足取りで、ヘリオの方に向かい足に抱きついた。
「おかえり、ヘリオ」
「……姉さん、へーおってなんだ?」
「あー、名前を教えてたんだ。なかなか上手く言えなくてね」
「なるほど」
苦笑しながらアリスを見ると、両手を広げて「へーお!」と名前を連呼していた。
それを見たヘリオは、アリスを抱き上げた。
その表情は優しい笑みを浮かべている。
アリスを引き取ってから、リリンやベビーシッターに協力をしてもらいながら生活していく内に、以前にも増してヘリオの感情が豊かになっていくのを見ていたガウラも、つられて微笑んだ。
「へーお!」
満面の笑みで、ヘリオに首に抱きつき、ヘリオに頬擦りをするアリス。
「ど、どこでこんな事覚えてきたんだ?」
「さあ?少なくとも、私は教えてないよ」
そんな会話をしていると「お邪魔します!」とリリンが入ってきた。
「リリン、いらっしゃい!」
「よう」
「あ!ヘリオお兄ちゃん!任務から帰ってきてたんだね!おかえりなさい!」
「ただいま」
リリンはヘリオの元に歩み寄り、アリスの抱っこを交代する。
「アリスくん!リリンだよ!」
「りーりー!」
「わぁ!私の名前を呼んでくれてるの!?嬉しいっ!!」
リリンは嬉しさでアリスをぎゅっと抱きしめ、頬擦りをした。
「「…これか」」
2人の声が見事にハモる。
「え?なぁに?」
「いや…」
「なんでもないよ」
苦笑いを浮かべる2人に、リリンは「?」となる。
「さて、今日は皆で外に夕飯を食べに行こう!」
「どこに食べに行くんだ?」
「最近出来た、新しい店だよ。ずっと気になってたんだ!」
「私もそこのお店気になってた!」
「よし!じゃあ行こうか!」
店へと向かう為に家を出る一行。
「へーお!」
「くるか?」
リリンからヘリオへと移動するアリス。
「もうちょっと抱っこしてたかったけど…残念」
「生まれ変わってもアリスはアリスだって事だな」
「ふふっ、そうだね!」
リリンとガウラに言われ、バツの悪そうな顔をするヘリオ。
それを他所に、上機嫌なアリス。
その対象的な2人の様子に、ガウラとリリンは吹き出した。
平穏なひととき。
再び巡り会った魂。
新たな思い出を作る為。
3人は、1日1日を大切に生きて行こうと、思わずにはいられないのだった。
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