Another 緑柱石-存在する意味は-
ヴァルが腹を怪我してから1週間。
傷はヘリオの回復魔法で完治していたらしく、その後は何の問題もなく過ごしている。
そして今、彼女は故郷の里に戻ってきていた。
「ヴァル、おかえり」
「ただいま母上」
まっすぐ実家に顔を出した彼女は、母親のヴィラに挨拶をした。
「珍しいじゃないか。掟が無くなってから一度も帰ってこなかったのに」
「少し話があってな」
ヴァルの言葉に、ヴィラは心当たりがある様だった。
「……ザナの事かい?」
「あぁ。あいつは今どうしてる?」
ヴァルがここに帰ってきた目的は、ザナの動向を探る為だった。
「1週間前に、取り乱した様子で帰ってきて以来、家に閉じ籠って出てこないよ。彼の親が言うには、部屋で独り言を呟いてるみたいだ」
「……そうか」
「なにがあったんだ?」
ヴァルは事の経緯を説明した。
すると、ヴィラは眉間に皺を寄せ、溜め息を吐いた。
「なるほど、それでか……」
「あたい自身、ザナがこんな行動に出るとは思ってなかった」
「……相手が自分と同じ男性って所で、気持ちに整理が付けられなかったんだろうね」
「……そうだな。相手がガウラだったなら女同士だ。異性がダメなんだろうと諦める理由を作ることが出来ただろうしな…」
少し重たい空気が部屋を支配する。
ヴィラ自身、ザナを幼い頃から見てきたからこそ、彼のヴァルに対する想いは知っていた。
ヴァルが任務やヘラの捜索している間、情報屋として仕事をしながら、彼女の帰りを首を長くして待っている姿も見てきた。
ずっと想い続けてきたからこそ、ザナは嫉妬と執着、絶望と悲しみ、そして怒りの感情が抑えられず、狂ってしまったのだろう。
「ザナの気持ちは理解出来るんだ。あたいも同じだったから。でも、諦めるしかなかった。掟、黒の祖の直系としての立場、そして、族長の孫としての立場。色んなしがらみがあったからな。だが、ザナは違う。だから、あたいは今まで気のある素振りはして来なかったし、キッパリと断ってきた。それでも、何処かで淡い期待を持っていたんだろうな…」
「ヴァル……」
「母上、あたいはもう、ここに来ることは出来ない」
「そうだな。ザナの事を考えれば、それがいい」
物心着いた時から一緒に居た幼馴染。
里の中で唯一、対等に話が出来た友人。
友を想えばこそ、自分はここに姿を現すべきでは無いのだ。
「申し訳ないが、ザナをよろしく頼む。あいつは、あたいの唯一の友人だから」
「あぁ。わかったよ」
こうして、ヴァルは里を後にし、二度とその地を踏むことはなかった。
***************
ザナの事件から、長い月日が流れた。
相変わらずヴァルはヘリオと共に行動したり、部屋に来ては料理を振舞っていた。
共に過ごす時間が長くなれば、今まで気にしなかったことが気になっていく。
ヴァルと過ごすうちに、ヘリオは彼女の表情の切り替えに気が付いた。
ギルドの依頼をこなしている時は、自分と同じ無表情で必要以上の会話はしない彼女が、2人きりの時は表情がある。
そして、声色も心做しか穏やかな気がするのだ。
自分に好意を寄せてるから、というのもあるのだろうが、これが素なのか計算なのか分からない。
そんなヴァルは、今日もキッチンで夕飯を作っている。
その表情は、料理が好きなのが分かる。
そんな時、ヘリオの中に浮かんだ疑問があった。
「なぁ、ヴァル」
「なんだ?」
「あんたは、自分が存在する意味を考えた事はあるか?」
「…突然どうした?」
唐突な質問に、ヴァルは首を傾げる。
「あんたは俺が姉さんのエーテル体と知ってるだろ」
「あぁ」
「本来の俺は、エーテルとして姉さんに帰る為に存在していたはずだ」
「そうだな」
「だが、儀式は違う形で成されてしまった。だから俺は、姉さんを護る為に残ったんだと思っていたんだ」
「………」
「でも、今の姉さんにはアリスが居る。少し抜けているところはあるが、姉さんを護るには充分な存在だろう。その結果、俺は存在している意味が分からなくなった」
無表情に淡々と言ってはいるが、なんとなく雰囲気に迷いを感じる。
「形は違えど、あんたも姉さんを護る必要が無くなった。いわば、似た立場だろう」
「それで、あたいに意見を聞いてみようと思ったわけか」
「そういうことだ」
作業の手を止めずに、ヴァルは少し考えてから口を開いた。
「“自分が存在する意味”は考えたことはなかったな。でも、“生きる意味”なら考えたことはあった」
「ほう」
「大きく区別をすれば、この2つは同意義だと思う。状況の変化によって、生きる意味も、存在する意味も変化する。新たな夢や、目的、そういったモノでな」
ヴァルの言葉に、黙って耳を向ける。
「各言うあたいも、生きる意味は変化している。幼い時は憧れていたモノがあった。そんな時、赤子のヘラを見て、それは変化した。そして、今は……」
ヴァルは手を止めてヘリオを真っ直ぐ見つめる。
「今は、お前があたいの生きる意味だ」
「………」
「存在理由や生きる理由。自分に夢や目的が無くても、周りがお前という存在を必要としてるなら、それが理由になるんじゃないのか?」
「……そんな、単純なモノ…なのか?」
「お前が深く考えすぎなんだ。物事の本質は基本的には単純なものばかりだ」
「………」
彼女の言葉に、ヘリオは考え込む。
「自分の為じゃなくてもいい。誰かの為に生きるのだって、悪い事じゃない。自分を必要としている誰かの為に、生きて、行動して、それを続けていくうちに、見えるものだってある」
ヴァルは視線を手元に戻し、作業を再開する。
「お前は元はエーテル体だったが、今はヘリオ·リガンという1人の人間だ。これから少しずつでも、人との関わりを増やしてみるのもいいんじゃないか?」
「……」
「さあ、夕飯出来たぞ」
彼女はそう言って、料理を皿に盛り付け運ぶ。
そして、食事を始める。
ヴァルは、食事を摂るヘリオの顔を見て、穏やかな笑みを浮かべている。
「なぁ」
「ん?」
「あんたのそれは素なのか?」
「?」
ヘリオの言葉の意味が分からず首を傾げる。
「2人きりの時、あんたは表情があるなと思ってな」
「そうなのか?気づかなかった…」
指摘されて、少し恥ずかしそうに視線を逸らすヴァルに、素の反応なのだとわかった。
「気づいてなかったのか」
「あぁ。普段から感情を表に出さないようにしてきてたんだが…。そうか、顔に出てたのか…」
「出さないようにしてきた?」
「あぁ。掟が会った時は裏稼業を完遂させるために、余計な感情は邪魔になるからな。だから、普段から感情を出さないようにしてきて、それが定着してるんだ。それが、お前の前だと出来てないってことは、それだけお前はあたいの中で特別なんだろうな」
そう答えた彼女の顔は、少しイタズラな子供の笑みを浮かべていた。
─あたいの気持ちは知ってるだろ?─
そう言われている様だった。
***************
それから、ヘリオは少しずつではあるが、人との関わりを増やして行った。
人を観察する事が増えたことにより、ヴァルの気持ちが本気な事が分かってきた。
自分の前では素が出る彼女。
それと同時に、姉であるガウラの事が頭に浮かぶ。
アリスと恋人になってから、ガウラの雰囲気が少しばかり変わった。
たまにアリスから聞く惚気け話から、彼女も以前なら吐き出せなかった事も、彼の前では吐き出せる様になったのが伺えた。
それが分かった時、少し安堵したのを覚えている。
「素になれる事は、本音を吐き出せるって事なのか……?」
強がって本音を出さなかった姉。
そして、今まで掟に縛られ本音を隠していたヴァル。
そう考えると、ヴァルにも本音を言える相手が必要なのかもしれない。
そして、この前のヴァルの話を思い出す。
“自分の為じゃなくてもいい。誰かの為に生きるのだって、悪い事じゃない”
その言葉が頭から離れなくなった。
「誰かの為に……か」
そう呟いて、ヘリオは帰路に着いた。
***************
「おかえりヘリオ」
部屋に入ると、ヴァルがキッチンに立っていた。
「ただいま、来てたのか」
「いいタイミングだな。丁度、出来上がったところだ」
「わかった。すぐ着替える」
着替えを終えると、テーブルには夕飯が並べられていた。
そして、食事を始める。
食事を終え、食後のティータイム。
ヘリオはおもむろに口を開いた。
「ヴァル」
「ん?」
「あんたは本音が言える相手はいるのか?」
「以前は母上には言えたが、あたいは里に戻れなくなったから、今はいない」
「戻れなくなった?」
「あぁ。里にはザナがいるからな」
「……」
「それがどうかしたのか?」
ヘリオの言葉の真意が分からず尋ねる。
「あんたは、俺には本音が言えるのか?」
「そうだな。素になれて、自然と本音が出せるのは、今はお前だけだ」
「そうか……」
しばしの沈黙。
そして、ヘリオは口を開いた。
「この前、あんたに言われたことを自分なりに考えていた」
「存在理由と生きる意味の話か」
「そうだ。それで、あんたが俺を必要としてるなら…、それを存在理由として一緒に居るのもいいんじゃないかと思った」
ヘリオの言葉が予想外で、驚いた表情になるヴァル。
「俺は恋愛感情というものが分からない。あんたとは同じ気持ちではないが、一緒にいる理由がそれでもいいならな」
「……ふ、ふふっ、あははっ!」
それを聞いたヴァルは笑い出した。
彼女が突然笑い出した事に驚き、ヘリオはポカンとしている。
「ははっ、すまない!まさか、こんなに早く返事が聞けるとは思わなくて」
「……それが、何故笑うことになるんだ」
「いや、お前、案外素直なんだなって思ったら、長期戦を覚悟してたのが馬鹿らしくて」
「??」
「この前、あたいが言った言葉に嘘は無い。でも、その言葉を素直に受け止めて、結論を出したお前が、なんだか可愛いと思ってな」
「は?」
可愛いと言われて、怪訝な顔をする彼に構わず、ヴァルは続けた。
「まぁ、どんな理由でも、あたいと一緒にいてもいいと思ってくれたなら、それで充分だ」
そう言って、今までにないほどの笑みを浮かべる。
そして、ヘリオの前に手を差し出した。
「これから、パートナーとしてよろしく頼む」
ヘリオは差し出された手を握る。
「あぁ、こちらこそ」
そう返したヘリオの顔は、うっすらとではあったが笑みを浮かべていた。
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